更新日 : 2000/04/11
幕末の優れた蘭学者のひとりです。文化7年(1810)今の
兵庫県三田の藩医の家に生まれ、藩校に学んだのち、特に選ばれて
江戸に遊学させられ、大槻玄沢や杉田玄白と同じグループに属した臨床
の蘭学医坪井信道の門に入った。そして、同門の緒方洪庵といっしょに
和蘭語文典を完訳するなど、語学力にも秀でた才能を示し、天保5年
(1834)24歳の時江戸住まいの藩医となり、翌年芝露月町で開業しました。
しかし、2年後酒に起因する刀傷事件を坐したらしく、藩邸に幽閉ご浦賀の
地に蟄居を余儀なくされるという不運に見舞われる。5年後許され江戸に戻り、
島津斉彬の知遇を得て、特に物理・化学書の翻訳や、執筆編集に当った。
その代表的な業績が、「化学新書」の全訳です。
このオランダ語による原書は、公刊の年、すなわち安政2年に日本に輸入
され、川本幸民はだたちに入手して翻訳に着手した。この全訳「化学新書」
公刊されたのは、幸民没後の明治7年(1874)であるが、注目すべきことの
第一は、この訳書の題名に“化学”の用語を使ったことであろう。それまでは
西欧の言語がケミーまたはシェミーと発音されるので、“舎密学(セイミ)”という
音による当て字を使っていたのを、“化学”という用語に改めたことです。
この、「化学新書」の原書の中でパスツゥールの生物醗酵説なども現れた
時代を背景に、特にビール、葡萄酒、ウイスキーなどの高度な醸造理論を的確に
伝えていたことである。
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